ご注意:
このページは京ノ介の過去のブログをコピペしたものです。
当時の京ノ介はハンドルネーム「Kyo」として活動していました。
主にリアルフレンドに向けてのものだったと思うんですが、今読むととても生々しいものです(笑
以上をご留意いただき、お楽しみください。
俺には、家族がいない。
正確に言えば1人いるが、血の繋がった人間という意味でいえば、もっとつっこんだ
言い方をすれば2親等より近い家族は、俺にはいない。
その肉親は短命なヤツもいればそこそこ生きたのもいる。ただ、4人全員が
7年の間に相次いで死んだ。だから俺は、ある意味「人は死ぬ」ってことを
同世代の、少なくとも平均的な俺より若い連中よりは、肌で知っている方だと思う。
そのうち病院のベッドで息絶えたものが3人、あと1人は事故だ。最初に事故で死んだお袋の遺体が家に戻ってきたとき、顔は包帯で
ぐるぐる巻きにされていた。親父の話によると、現場はかなり壮絶だったらしい。俺の方はというと、やりきれなかったのは最初の2分だけだった。
大体、目の前に横たわる物体とその日の朝見たお袋との共通点が、顔に巻かれた
包帯によって見いだせなかったのと、当時一番近しい存在である親の死というものが
どうもピンと来てなかったらしい。
あるいは自分自身が壊れてしまわないように、感情のブレーカーが落ちてしまったか?
おそらく両方だろうと思う。とにかくその時点で親父は完全にアタマがテンパイしやがってて、俺が悲しみに暮れている
余裕はなかった。やるべきことをたんたんとやり続ける俺。
通夜が終わり、明け方近くになると人も少なくなる。そっと顔を覗きたい衝動と戦いながら、
俺は線香を燃やし続けていた。
結局はついに顔を見ることは無かったのだが、その時多分俺はこう思っていた。「親父の話では、お袋の顔にはもはや鼻は無いらしい。事故の衝撃でえぐられているそうだ。
そんなお袋の顔を見るのは、お袋がかわいそうだ。中年を過ぎたとは言え、女であるお袋は
多分誰にもそんな顔は見せたくないに違いない。俺も、話には聞いているものの、やはり
ショックだろう。」そんなことを思いながら顔に巻かれた白い包帯をぼんやり見ていると、唯一露出している
アゴの下あたりから首にかけて、血が流れているのを見つけた。
この瞬間、俺が思ったのは「あぁ、かわいそうに」血はすぐ拭き取ってやった。?さっきもそうだったが、何で「かわいそう」なんだろ?
そりゃお袋が生きてりゃ、顔から血が出てれば痛いんだろうしかわいそうだ。でも
死んでるんだ。これはもはや「お袋のカタチをした肉のカタマリ」に過ぎないのに。
ほっといても、腐るだけだ。あぁ、そういうのもかわいそうだな。あ、また言ってる。じゃ生きてるって、どういうこと?肉が酸素を欲しがって活動してる?何か違うだろ?
親が死んだってのに、そんな事思うヤツいるんだろうか?
俺ってすげー冷たい?冷めてるのか?そんな訳分からんことを、朝まで考えてた。
今思うと、おぼろげに精神というかココロのありかを見つけようとしてたのかも知れん。
ココロがあること、すなわち「生きている」事なのか?
そう思うと最近、死んでるようなヤツ、多いな・・よく坊さんが「あっち」「こっち」とか言うが、それって何なの?一体?
俺に言わせりゃ、あっちもこっちも関係ねぇ。カタチがあるかどうかなんて
生きてるか死んでるかの基準になるか?
それとも発達し過ぎた大脳がココロっていう幻想を作り出してんのか?実際どうなのかなんて、それは今でも分からんが・・・ただ
そんな事をぼんやり思い出して、考えながら飲んだ今日の酒は、少し苦かったな。