ご注意:
このページは京ノ介の過去のブログをコピペしたものです。
当時の京ノ介はハンドルネーム「Kyo」として活動していました。
主にリアルフレンドに向けてのものだったと思うんですが、今読むととても生々しいものです(笑
以上をご留意いただき、お楽しみください。
世の中、夏真っ盛りで、いわゆるお盆ってやつだ。
俺は(非常にわがままな物言いかも知れんが)神道崇拝ではなく、仏教依存
でもなく、キリスト信心者でもない。いわゆる無宗教だな。ここら(北陸)では、先祖の墓に概ね「キリコ」を供えるしきたりだ。
紙と木でできた「ぼんぼり」状のモノに、供えた人が自分の名前を書く。
これで、誰が墓参りに来たか一目で分かるって寸法だ。
裏日本の陰気なしきたりを具現化した風習でもある。
だから、親戚の多い家や生前友人の多かった人などの墓前には
大抵「キリコ」が鈴なりになる。最近、ちょっと大きな事件があった。俺にとっての「大きな」事件。
詳しくは言えないが、今後俺の思考と魂を支配する可能性の高い、
節目のできごと。悲しみと喜びが僅かの間に訪れて、俺も少々テンパイ気味ではあるけれど..
だから、という訳ではないが、最近死んだ家族をよく思い出す。
大体はこうかな。
「笑いながら頷く親父」「手招きするお袋」
「ゴツい眼鏡の奥で眼をしばたく祖母」「ただただ笑っている祖父」映像として鮮明に思い出せるのは嬉しい事だ。それが現世にいない
人々であったとすればなおさら、ではあるね。ただね..今はそんな事言いたいんじゃあない
そんな風に、過ぎ去った過去の事をありありと想い出せたら..ってさとり戻せない過去を、今現実にあたかも目の前で起こってる事の様に。
そうすれば俺のこの悲しみや苦しみは、少しは癒えるかな..なんて
今回はテンパッた後でもあるし、なんか支離滅裂な文章でスマン。
たまにはこんなのもいいだろ。で、なんでタイトルが「草葉の陰から」なんだかね。
ただね、俺が草葉の陰でうずくまるまでに、まだやってみたいこと
一杯あるし・・クサってる場合じゃないのかもなぁ。俺にこういう風に考えさせてくれて、ありがとう。