ご注意:
このページは京ノ介の過去のブログをコピペしたものです。
当時の京ノ介はハンドルネーム「Kyo」として活動していました。
主にリアルフレンドに向けてのものだったと思うんですが、今読むととても生々しいものです(笑
以上をご留意いただき、お楽しみください。
嵐の前の静けさ、とはよく言うけど
嵐の後の静けさ、とはあんまり言わないな・・お久しぶり。Kyoです。
今日のVoiceは訳アリで、抽象的な表現が多いですが
どうぞご容赦ください。ここ最近で、環境が大きく変わって
戸惑いを隠せないのは事実。
ヘンな能書きやゴタクはどうでもいい。
とにかく、言い方を慎重に選んで言うなら
「愛の名のもとに」世界の住人として在りつづけるしかない。
そう決めた人がいる以上、もはやどうすることもできない。
世間一般的に 良くも悪くも俺も在る意味、疲れた部分ってのは否定できなくて
だからと言う訳じゃないが、「気づく」自分をそこに見る。俗な言い方で言えば、恋愛とかどうのって部分も
確かに俺以外に対象が移って行ったのはキッカケでしかない
と言われると、頷くしかない・・良く言えば「キッカケ」
悪く言えば「いつもの乗り換え」で、俺はと言えば
そこまで強く思うなら、好きにやってみろ。って思いが
多少なりともあって。結論は、この通り。だから、以前のように死にそうにはならない。事実なってないな。
俺はその、一番近くにいる味方ほどではなく
言わば俗寄りの人間と思うが
ほぼ事実の全容を知ってるのも、また俺ひとり。
何度も頭抱えそうになるが、今更どうにもならない。これ以上、何度夜中に汗をかいて目覚めるのか・・
これ以上、何度白昼夢を見るのか・・解決の糸口は掴めているが、依然この肉体が付いて来ていない。
また時間が俺を癒すと言うことか。
執着やこだわりは、破滅しか導かないのか。今まで何度かは訪れたが
この混沌とは、深く果てしないな・・
そして、寒いくらい静かなところだな・・拒絶は罪と誰かが言ったが
こだわりや執着もまた罪なんだろうか。毎日問う。全てのモノが、肯定的な神のシモベであるなら
いつか答えが返って来る事を信じてる。
「そうなること」を信じて止まない。